音楽の本質とは
あと,二つ記事を書いて,このブログからは,完全撤退しようと思う。
これから書くのは,その最初のものである。
さて,少し前に,「人はなぜ理論を知らなくても作曲できるか」という記事を書き,
その中で,「音楽流儀」と「音楽理論」の違いについて書いた。
簡単に言えば,「音楽流儀」とは,「こうすると悪くなく聞こえる」ようにするための技法であり,
「音楽理論」とは,音楽そのものを決定づけるもの,ということである。
普通,「音楽理論」と呼ばれているものは,実は「音楽流儀」のことであり,
従って,いくらでも例外が存在する。
普通,音楽理論と呼ばれている「音楽流儀」を知らなくても,作曲はできる。
それは,人間に学習能力があり,聴いたものを真似する能力があるからである。
作曲する一番の近道が,たくさんの曲をとにかく聴くことだといわれるのはそのためだ。
「音楽理論」,つまり科学的に実証可能であり,それから外れたら音楽ではなくなる考えだが,
それを築き上げるのは,非常に難しく,しかも必ずしも作曲にその知識は必要ない。
しかし,それを知っていれば,かなりの応用ができ,作曲もよりスムーズになり,
場合によっては,経験によらずして新しい発見をすることができる。
言い換えれば,この「音楽理論」こそ,「音楽の本質」に関係するものであり,
「音楽の本質」を知るには,この部分の理解が必要である。
さて,その「音楽の本質」であるが,それは「音色」と「リズム」であると書いた。
しかし,これももっと厳密な定義が必要だろう。
これは,「音色」や「リズム」に力を入れれば,良い曲が書けるという意味ではない。
そういう誤解を避けるために,厳密に定義してみよう。
「音色」:単一,もしくは複数の音源から発せられる音波を制御すること。
「リズム」:時間の流れを音によって区切り,その区切りを制御すること。
従って,「音楽」とは,単一,もしくは複数の音源から発せられる音波によって,
時間の流れを区切り,制御すること,と定義することができる。
ここで言う「制御」というのは人工的な手段によって,という意味である。
「音色」を縦軸とすれは,「リズム」は横軸になり,
その座標の中で音楽が生み出されていく,というイメージだろう。
では,この「音楽の本質」から何がわかるのだろうか。
「音色」に関しては,かなり多くのことがわかっている。
倍音の含有量による違い,波の大きさによる違い,波の幅による違いなど,
そのような概念で,ほとんど説明できるだろう。
また,上昇,下降,平行による心理的影響などもよく理解されている。
「リズム」に関しても,かなりの程度わかっている。
人は,定期的な繰り返し音を欲する傾向を持つこと,
その感覚の広さの変化が,曲の性格に大いに関係していること,
低音による繰り返し音は,安定をもたらすなどもよく知られていることだろう。
こうしたことは,言わば当たり前のことだが,
「音楽の本質」によって説明できる単純な「音楽流儀」の一部である。
例えば,倍音から導き出される流儀について考えてみよう。
(ただし,これもよく知られている流儀である。)
倍音を積み重ねてできる音列は,いわゆる西洋音階と少し異なる。
もっともある程度の高さまで行くと半音以下の長さになってしまうので参考にならない。
それで,有効と思われる9番目の音までを追うと,
その音階は,属九の和音の構成とほぼ同じになる。
このことから,属和音(V)の意味が解明される。
属和音は,自然界に存在する低単音に最も近い響きということになる。
そこには決定づけるものがなく,曲として完結させるためには,
厳然とした解決音が必要になる。
それが,倍音的に最も遠い音である完全四度上の音になるわけだ。
しかも,その音には,最も近い倍音として四度下の音が含まれているから,
自然の成り行きとして,そこに向かいたくなるのである。
これが,もっともよく知られた流儀であるV-I進行の正体である。
そして終止を確実にするために主に属七が用いられるのも,
この倍音の影響が大きいことが容易に理解できる。
ちなみに,I-V-Iの最初のIは,解決音を印象づけるためのものであり,
絶対に必要というようなものではない。
「リズム」による本質的な事象として,「繰り返し」を挙げることができる。
リズムは繰り返しである,と書いてある理論書は多いが,実際にはそうではない。
定常的な繰り返しがなくても,リズムとして成立する。
しかし,放っておけば,確実に同じパターンで繰り返すように脳が働くだろう。
ビートは,もっとも単純な形での繰り返しであり,
それが今日の100%に近い曲を形作っている。
これをあえて繰り返さないような曲を作るという試みも
これまでの音楽の歴史の中で行なわれてきた。
人間の本性に合うものではないので,当然流行るものではないが,
それでも,曲の途中で急にリズムを変えたりすることは,よく行なわれることであり,
そうすることはよい刺激を与えるものであるということもわかっている。
「リズム」に関していえば,もう一つ。
速い曲ほど定常性(繰り返し)を強く求める傾向がある,と言える。
遅くなるに従って,そのあたりはとてもルーズになる。
これは,万国共通である。
いずれにしても,以上に書いた事柄は,「音楽の本質」を解き明かした,というよりは,
経験的に行なってきたことを本質に照らし合わせて,説明しているに過ぎない。
もし本当に新しいものを作り出したいのであるなら,
この逆をやらなければならないだろう。
「音楽の本質」をもっと厳密に分析し,そこに隠されている特性を抽出し,
そこから流儀を生み出していく,という作業である。
しかし(ここまで書いて言うのもなんだが),それは事実上不可能である。
結局は経験からしか,探ることはできないからだ。
これまで,20世紀にその試みが多少あったが,2,3の発見に留まった。
「音楽流儀」(一般に言う「音楽理論」のことだ)はもう十分わかった,という人であるなら,
この本質面からもう一度探ろうとするのも,新しいものを生み出すには,
よい方法かもしれない。
ただ,「音楽流儀」を知らずして,本質を探ろうとしても,恐らく時間の無駄である。
ほとんどはもうすでに解明済みのことだからだ。
しかし,次の方法はぜひお勧めしたい。
すでに存在している流儀を理解するために,本質からアプローチする方法である。
ある程度慣れてくれば,この方が早い場合がある。
ただし,どこまでが流儀であるのか,しっかり把握していないと,
かえって混乱する場合もあるので,その辺は気をつける必要があろう。
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