転調の必然性
もう一つ,どうしても書きたくて……。
もしかしたら,作曲初心者にとって,
転調というのは敷居が高いのかもしれない。
事実,私も昔は,転調という行為が何とも神懸かり的な技術のように感じていた。
しかし,ある程度,作曲に親しんでくると,
「なんだこんな簡単なことだったのか」と思えてくる。
つまり,この,「簡単なこと」という感覚が,新しいことを始める上で
非常に重要である。
転調を一切しない,あるいはせいぜい平行調(ハ長調とイ短調のような)くらい
しか使わないような曲では,1分ももたない。
確実に飽きられるのである。
どんなに音型やリズムを変えたとしても,まず無理だ。
どんなに感動的なメロディであろうともリピートして聞きたいとは思わない。
もっとも普通,感動的なメロディには自然に転調的要素が含まれている。
というか,実際には,それに気づかないだけで,
メロディの感動の要素は和音の工夫によるものであることが多い。
そのままではつまらないメロディも,和音次第で感動的になるのである。
このからくりに気づかないのは,実にもったいないことである。
ここで言う転調は,借用和音や副属七和音のような一時的なものも含まれる。
そのような技術は,簡単である上に,大きな効果を生むということを理解できれば,
用いないではいられないことであろう。
例えば,I-IV-V7-Iという極めてオーソドックスな進行のIVを
同主調(ハ長調の場合のハ短調のような)のIVに変えるだけで
驚くほどの,「もっと聞きたい」感が出る。
具体的には,C-F-G7-CをC-Fm-G7-Cという進行にする,ということである。
一回目は,オーソドックスに,二回目は代理和音を,みたいにしてもいいし,
最初から主要メロディに,この代理和音を埋め込んでもよい。
(たぶん,この方が一般的だろう。)
もちろん,G7をGm7に変えたり,Gm7(-5)したりしても,何の問題もない。
「この感じ,いい!もう一度聞きたい!」となること請け合いである。
上記のようなものを,普通,借用和音といい,他の調から一つだけ和音を借りてきて
埋め込んだというイメージである。
当然のことながら,一つだけでは飽きたらず,もっと使いたい,という欲も出てこよう。
もう,どんどん使ってよい。
ただし,どれが借用で,どれが本体かということは意識していないと
めちゃくちゃになってしまう。まあ,当然のことだ。
ほかの調の和音を使ったら,ついでにそのままその調に本格転調してしまってもよい。
その調で,いくらか和音を鳴らした後,元の調に戻ったり,
あるいは,さらに別の調に移っても構わない。
転調において一番重要なのは,どの調に転調するにしても,主和音と属和音だけは,
常に押さえておかなければならないということだ。
借用和音と一時転調の違いはここにある。
借用和音の場合,主和音と属和音は,主調のままであるが,
一時転調の場合,主和音と属和音が新しい調のものに移ってしまう。
繰り返すが,転調せずに,2分,3分と曲が進むと,
どんなにリズムや旋律の変化が伴っていたとしても
耳がその音律に慣れてしまい,最初の部分はいいかもしれないが,
最後まで聞き終わらないうちに,停止ボタンを押されてしまう。
いろいろな作曲初心者の曲を聴いて,とても残念に思うのは,
素材はいいのに,和音進行に工夫がないために,
その素材が死んでしまっている場合が多い,ということだ。
冒頭はいいのに,聞いていくうちに飽きてきて,
「おい,そろそろ転調しろよ!」とツッコミたくなる。
転調の概念がないためか,そういう人にとって,
町で流れている曲は,実はかなり頻繁に転調していて,
ほとんどそれで保たせているというのに,
それにさえ気づいていない,という状態なのだろう。
本当に残念である。
最後に,和音進行を工夫するだけで,どれほどのことが行なえるのかを示してみよう。
だれもが知っている「かえるの歌」。
このメロディを間奏を挟んで,2回繰り返す。
こんな感じだ。
何の変哲もないメロディが,新たに生まれ変わった瞬間である。
(大げさに言うと……)
| 固定リンク

