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2009年5月

2009年5月30日 (土)

一時転調,もしくは代理和音と旋律

ということで,ハ長調の中に,実際に含まれている和音を使って転調してみる。

昨日示した和音進行と全く同じだが,旋律にはハ長調にはない音が含まれている。
これは,ハ長調と同じ和音を共有している調の音階である。

この別の調に基づく旋律や和音を新たに加えると
それが,一時転調,もしくは代理和音の一種となるわけだ。

マイナーセブンやメジャーセブンであっても,必ず他の調と共有しているので,
転調が可能である。
ただ,ドミナントセブン(属七)だけは,主和音に解決する(強進行)感が強く,
これが出てきたら,自然と乗せられる音階,行くべき調が決まってしまう。
もちろん,例外もあるが,今はそれは考えない。

このほかにも変化音による転調など,転調への動力となるものは他にもあるが,
いずれにしても,このようなからくりがあり,知っていて損はない。
 

ところで,今作りかけの曲も少しずつ進んでいる。
なかなか楽しく書けている。

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2009年5月29日 (金)

転調しないということは……

昨日書いた内容をもう少し発展させて考えると,
転調しない(一時転調含む)ということは,どういうことか,ということがわかる。

今まで何度も書いてきたことであるが,
和音進行さえしっかりしていれば,
旋律はその調の七つの音であれば,何でもよいのである。
でたらめでも,十分成り立つ。

その証拠に次のような旋律を作ってみた。

音階の上下を繰り返すだけの旋律である。
しかし,和音進行がしっかりしているので,旋律は単純だが,
何となく表情は出来ている。

作曲について,ほとんど何も知らないうちは,
旋律も和音の構成音を使わなければならないのではないだろうか,
と心配したが,全くそのようなことはないということがわかる。

使うべきなのは,その和音が属する音階の音である。
というより,それを使えば和音の構成音でなくても確実にうまくいく,ということである。
実際には,その和音が属さない音階を使っても,
うまくいくのだが,ちょっと注意が必要。その点については,また後日。

ということで,転調しないということは,
この内在する単純な旋律から脱却できないということであり,
自らを狭い世界に追い込むことである,という以前の考えを裏付けている。

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2009年5月28日 (木)

転調における音階と和音

知らなければ,恐らく魔法ではないかと思えてしまう技術。
しかし,知っていれば,極めて有用な知識。
それを紹介しようと思う。

特に,一時転調や借用和音をどう用いるかに関して,
疑問に思うことがあるかもしれない。

それは,そのような和音を使ったときに,
旋律はいい加減でいいのだろうか,という疑問である。
実は,知って得する,ある決まりがある。

そのような和音を使ったときに,その和音が所属している音階で
旋律を作ると間違いなくうまくいく。

例えば,ハ長調のIVの代わりに,ハ短調のIVmを使ったとする。
するとその和音の上に乗る旋律は,ハ短調の旋律にするとよい,ということである。
同様に,ハ長調のIの代わりに,イ短調のV7を使ったとする。
するとその上に乗る旋律は,イ短調の旋律にするとよい,ということである。

わかりやすくするために,次のようなものを作ってみた。

和音進行の上に,音階を乗せただけであるが,これだけで結構立派な旋律になる。
ある和音が,どの調の何度になるのかがわかれば,それだけで曲が出来てしまうのだ。

上記の要領で,少し応用してみよう。

ハ長調の曲であるが,臨時記号がたくさん付いていて,なんか複雑な感じに見える。
しかし,この臨時記号は,理論的に付けられたもので,いい加減なものではない。
一時転調や代理和音の効用は,このような形で表われる。
ある場所には,AbとG#の音が別々に出てくる。
実際には全く同じ音なのだが,しかし,きちんと書き分ける必要がある。
クラシック理論であるなら,これが一目瞭然なのだが,
ジャズ理論になると,少しわかりにくくなる。
それ故に,ジャズではスケールという考えで補っているのだ。

いずれにしても,たったこれだけの知識で,どれほどのことが出来るか考えるとき,
どのように学ぶか,ということが重要であるということが理解できよう。

このような知識は,まともに基礎から学ぼうとすると,ものすごく時間がかかり,
重要性の低い知識ばかりが身に着いてしまいかねない。

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Sibeliusに移行した

これでもう少し表現が付けやすくなった。
Studio ftn から,Sibelius に変えるだけで,
なぜかピアノの音質が柔らかくなる。

オーボエは,Miroslav,ピアノは,Ivory Italian。
まだ,完成にはほど遠いが,何とか筆が進み始めた。

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2009年5月27日 (水)

ちょっと進む

だんだん欲が出てきて,もう少し表現を付けたくなってきた。
それで,Studio ftn から,Sibeliusへ譜面を移そうと思う。

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2009年5月25日 (月)

そろそろ成果を

少しずつジャズ理論にも親しもうと思い,学んでいるが,
そろそろ,単なる学習だけでは面白くないので,
成果を生み出してみたい。

ということで,新しい曲を書き始めた。
まだ途中まで,というか,ほんのワンフレーズだが,
間違いなく,今までの自分にはなかった曲調である。

主和音に持って行くまでの和音進行と,旋律に付けられた和音が,
クラシック(ドイツ系の)ではたぶんあまり見られないものだ。

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風変わりな曲が出来た

ジャズ理論に基づいた代理和音を使って実験的な曲を書いたが,
とても風変わりな感じの曲になった。
これはこれで,何となく応用できそうなので,取っておこう。

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2009年5月24日 (日)

感動してたら感動的な曲は書けない

実際の作曲家はどうなのか,知っているわけではないのだが,
今日の表題の件,まず間違いないと思う。

音楽を聞く側としては,「何てすばらしい曲」という感動を持ち,
従って,この曲を書いた人は感受性が高く,
涙を流しながら,曲を書いているのではないだろうか,
などと勝手に想像したりするかもしれないが,
まず,そんなことはないだろう。

むしろ,とても計算高く,打算的で,周囲の目を常に意識しているような,
そんな感じの作曲家のほうが多いと思う。

これは,作曲している人間を何人か観察しての結論ではなく,
作曲するという行為から導き出した,言わば職業病のようなものである。

確かに,何らかの印象的なワンフレーズを生み出すには,
想像力,創作力,インスピレーションが必要である。
でも,それは,作曲という行為の中では,とても小さな部分である。
とはいえ,もちろん,これが心臓部になるのだが……。

作曲作業のほとんどは,退屈な穴埋め作業だ。
「この響き」を作り出すには,ここにこの音を置いて,こういう進行にすればよい,
というようなことを辛抱強く考えて,埋めていく。

そして,ある程度できたら,今度は自分を聴衆の側に置いて,
「よしよし,うまくいったぞ」とほくそ笑むのだ(笑)。

もし,その作曲家が演奏者としても優れた才能を持っている人なら,
この点で,もっと効果的である。
演奏者は,表現者でもあり,役者と同じで,
一枚の紙切れ(楽譜)から立体的な世界を描き出す。
だから,聴き手(客観的な評価)になるための引き出しが多い。

たとえ,演奏することができなくても,
これまで数限りない音楽を聴いてきて,ただ聞くだけでなく,
その楽譜を研究し,「なるほど,こうなっているのか」ということを知っている人なら,
(たぶん,ほとんどの作曲家はそうだろうが……)
眉一つ動かさず,涙腺を刺激することもないまま,泣ける曲を書くことができる。

だから,感動的な曲を書きたいと思うなら,感動的な曲を聴いたときに,
自分が感動してしまって,周りが見えなくなるのではなく,
(そういうのは,作曲者ではない,専属的な聴衆に任せればよい)
なぜここで感動できるのか,ということを分析し,
きちんと結論を出し,自分の引き出しに丁寧にしまっておき,
あとでゆっくり印籠を出すがごとく,自分の曲の中の最も効果的な場所で,
つまり,水戸黄門で言うなら,8:40頃になったら,とっておきの技術を使って,
この曲を聴くであろう人々に,「感動を与える」わけだ。

実に,打算的である。

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2009年5月23日 (土)

Sibelius6が販売されるらしい

日本語版はまだ先だろうが,ちょっと気になる。
どうやら,指揮者になった気分でテンポを自在に変えながら,
再生できるという機能が付くらしい。

さほど使えるとは思えないが。

それよりも,個人的には,アーティキュレーションの確実な割り当てに
力を注いで欲しい。

Sibelius5では,まだ確実に反映されないときがある。

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少しの手直し

さすがに適当すぎたので,ちょっとだけ作り直した。

この機会に,以前に作った曲の音を改善するため,
いくつかの曲を見直したのだが,「弦楽のためのエチュード第9番」以前の曲は,
かなりの手直しが必要のようだ。

したがって,それ以前の曲はこのまま捨ててしまおうかとも考えたが,
でも,せっかく作ったので,あとでゆっくり手直ししようと思う。

ちなみに,「弦楽のためのエチュード第9番」は,こんな感じの曲だ。

Sonarで,少し音量を調整している。
この時期は,こんな感じの曲ばかりだったなぁ,という感想しかない。

ついでながら,「弦楽のためのエチュード第13番」。
弦の響きを出来る限り,実際の音に近づけたもの。
エフェクタの改善でさらによくなったと思う。

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2009年5月21日 (木)

ちょっとした実験

元ネタは,Studio ftn demoの中にある,2007111101というftnさんのメロディである。
(ftnさん,勝手に使って,すみません。)

この曲を選んだのは,一つのことを試したかったためで,深い意味はない。

そもそも,ftnさんの曲は,素材としてはとても優れている。
ただ残念ながら,終止が不十分なため,「線路続くよ,どこまでも」状態になっており,
旋律としてのメリハリが浮き出ていないのであるが,
それはそれで,好みの問題もあるし,きっとそのうちさらなる技術の向上により,
改善されていくのだろうと思うのだが,
ちょっとそれを最近の理解に基づいて,私なりに発展させてみようと思い立ったのだ。
もちろん,大した出来ではない。
1フレーズの借用だけなので,形は全然異なっている。

まず,クラシカルな感じに作ってみた。

オーケストレーションは大変なので,ピアノソロにした。
Ivory Italian Grandさまさまである。
この音源は,本当に期待を裏切らない。

拝借した旋律は,数小節だが,それをクラシカルに発展させているつもりだ。
転調や借用和音はもちろんだが,強弱の変化やリズムの変化,対位法的手法など,
ありとあらゆる類の変化で,数小節をピアノ一台で発展させている。

次は,ポピュラー風のアレンジ。

ここまで来ると,原曲の要素はほとんどないが,
なぜこんなことになるのかというと,メロディーと和音,
およびリズムを一致させていないからだ。
また,歌謡旋律にしてしまったので,さらに雰囲気が変わってしまった。
きっとこれなら,言われなければ元ネタが何であるかさえわからないだろう。

和音進行もいわゆる循環和音進行,I-VIm7-IIm7-V7で,ほぼ全曲作られている。
(短調部分は,Im-VIM7-IVm7-V7)
所々,代理和音を使ったり,転調したりしているので,
それでもそれなりの変化は楽しめる。

いずれにしても,形式と和音進行で曲のまとまりを付ける方法を知ってさえいれば,
曲を作ること自体は,さほど時間をかけることもなく,
簡単にできてしまうのである。

1年前だったら,こんなに簡単にはできなかった。
たとえゆっくりでも,やめなければ,それなりに進歩するものだ。

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2009年5月18日 (月)

ポピュラー脳とクラシック脳

実は,最近(といってももうずいぶん前だが),
「作曲本」(野口義修著)と「ポピュラー音楽に役立つ知識」(秋谷えりこ著)を買った。
「作曲本」には,少し言及したが,
「ポピュラー音楽に役立つ知識」という本も値段のわりに結構情報豊かだ。

ほとんど,代理和音,転調,アベイラブル・ブルーノート・スケールにページを割いている。
いかにもジャズ理論全開なわけであるが,ただ読んでいても面白い。

さて,クラシックの曲とポピュラーの曲を交互に書いてみて,
いくつかのことがわかった。

まず,ポピュラーの場合,器を用意しなければならない。
それは,独特のリズムだったり,独特の和音進行だったり,
独特の旋律だったりするのだが,これを知っていれば,
1曲仕上げるのは極めて簡単である。
たぶん,知らなくても,見よう見まねでできてしまうかもしれない。
ただ,その場合は,時間がかかるだろう。

したがって,ポピュラーは,ちょうど塗り絵に似ている。
あらかじめ,白紙に色のない絵が描いてあり,
あとは,それに色を塗っていけば,絵は完成という,あの塗り絵である。
(と言っても,それなりの完成度を求めれば,かなり難しい。)

一方,クラシックは,全くの白紙の状態に絵を描くようなものだ。
デッサンも自分でしなければならない。
何らかのルールを自分で決めないと,書き始めることさえ困難である。

たいていは,古典的な和声がルールの基本になるが,
最初のうちは,それさえ,どう使ったらいいのかわからなかったりする。

では,ポピュラーとクラシックという,この二つの垣根をどのように取り払うか。
この点が,私の一つの研究テーマでもある。
(「研究」というのは大げさだが……)
いままで,どちらかというとポピュラー系の曲が書けなかったので,
なかなか比較ができなかったのだが,最近コツを掴んだので,
ようやく,いろいろなことがわかり始めた。

問題は,デッサンの仕方にあると考えている。
ポピュラーで使い古されている手法ではなく,
新たな発想で形を作り始めれば,それなりに新しいものができるのではないだろうか。
例えば,ジャズ理論の様々な手法は,
ほとんどが半音進行や音階進行(つまりアドリブの助け)を形作る理論である。
対旋律もそれに準拠している。

その部分に手を加えることはできないだろうか。
実は,今,とっておきのアイディアがある。
そのうち,それに基づく曲を書くつもりだ。

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2009年5月16日 (土)

ディミニッシュセブンを使った曲

何となく完成したので,アップしておく。

最近は,ポピュラー調の曲を書くことが多くなった。
これは,和音がわかりやすいからで,
手軽に書けるという単純な理由による。

ポピュラー風の曲には,Studio ftnを,
クラシカルな曲には,Sibeliusを使っていく予定だ。

強弱やスラー等がアバウトでいいポピュラー系の曲なら
Studio ftnのほうが入力が簡単でよい。
(上記の曲もStudio ftnである。)

一方,クラシックのように強弱そのものが極めて重要な意味を持ち,
同時に,アーティキュレーションが細かい曲には,Sibeliusでないと
対応できない。
特に,Studio ftnは,pppからfffの幅が狭いのと
スラーが使えないのが致命的だ。

以前に一度,アップしたが,この曲は,Sibeliusを用いた。
「ピアノと弦楽のためのブルース 第3番」
ブルースという言葉が入っているが,基本的にクラシックである。
強弱,クレッシェンド,デクレッシェンド,奏法などで,
より細かくなっているのがわかると思う。
Sibeliusの難点は,立ち上がりに時間がかかることだ。
すべてのVSTを毎回同時に立ち上げているのが原因と思われる。

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2009年5月14日 (木)

ディミニッシュセブン

ちょっとバッハに励まされて,ディミニッシュセブンを使った曲を作っている。
このディミニッシュセブンは,和声的短音階上にできる導七の和音のことで,
四つの音の音程差がすべて同じ,という変わった和音である。

ちなみに,ディミニッシュとは,「減」という意味で,日本語では,減七の和音という。
この和音の便利なところは,転調がしやすく,簡単に遠隔調へ進めるということだ。
ただ,この和音上に旋律を乗せようとする場合(適当でも大丈夫だが),
きちんと和声的短音階の導七である,という知識があると応用が利く。

どの音を根音(ルート)に置くかで,音階が変わってくるので,
そのあたりの基礎知識があると,とても面白いことができる。

今回は,まだ完成していないので,曲のアップは控えるが,
なかなか面白い実験になっていると思う。

ところで,「調の確定」というようなことを以前に書いたが,
「調の確定」とは,主和音への回帰のことで,何が主和音なのか,
聴いていてわかるようにするという作業のことである。
したがって,主和音を特定できれば,音階上のすべての音を使う必要はない。
I-V-Iでも,I-IV-Iでも,確実に主和音を,つまり調を特定できる。
単純にIで始まり,Iで終わっているからだ。
つまり,カデンツは,調を確定するための最小単位ということになる。

しかし,V7を使えば,最初のIがなくても,主和音に回帰できる力を持っている。
これは,単にトライトーン(増四度)を含むというだけでなく,
音階上に,V7はたった一つしか作ることができないという側面もある。
(マイナー7は3つ,メジャー7は2つ,音階上にできる。)
とはいっても,V7も万能ではないので,転調のあとなどは,
やはりI-V7-Iという形が必要になるだろう。
さらに,ちなみにだが,VIIは,V9の主音省略形として認識され,
ドミナントの一種である。

そして,ここで本題に戻るが,調を決定づけるのは主和音である。
楽譜を見たときに,あるいは音を聴いたときに,
疑問の余地なく主和音が特定できれば,調は確定する。
(つまり,音階が予測できる。)
もちろん,これには,上記のような客観的な論拠が必要である。
ドミソだから,ハ長調,というわけにはいかないのである。
ドミソ-ソシレ-ドミソという進行をして初めて,これはハ長調と認定できる。
IV-V-Iだと,ぎりぎり無理だろう。
へ長調のI-II#-Vの可能性があるからだ。
この進行だったらIV-V7-Iか,I-IV-V-Iにしないと調は特定できない。

それから,和声の入門において,ほとんどの場合,
カデンツの代表例として,I-IV-V-Iの進行を示しているが,
長調の場合,この形はまず使われない。
ほぼいつでも,I-IIm7-V7-Iのように変形される。
理由は簡単で,長調で,長三和音だけしか使わないというのは,
あまりに表情に乏しすぎるからだ。
短三和音を交えることで,グッと表情が豊かになる。
バッハもベートーヴェンも例外なく,(長調の場合)ほとんどI-IIm7-V7-Iの進行だ。
入門書を鵜呑みにしてはいけない。
(ただし,実践的な入門書にはこのことが書かれている。)

また,和声を論じる際に,トニック,サブドミナント,ドミナントという言葉を用いるが,
これにも意味がある。
トニックといえば,Iだと思いがちだが,実はImaj7もVIもIIImもトニックである。
サブドミナントといえば,IVと,入門書には書いてあるかもしれないが,
IImやIIm7,IVmなどもサブドミナントである。
ドミナントもV,V7,VIIb5,VII(b5)7,V9などたくさんある。
つまり,トニックなどの言葉は,和声の機能を示す言葉であるということだ。
そのすべては,主和音(トニック)への回帰を目的としてる。
本によっては,ダブルドミナントを四つ目の機能として紹介しているものもある。
そうでない場合,ダブルドミナントは,サブドミナントの一種と見なされるようだ。
代理和音は本当にたくさんあるので,それらを覚えると本当に腕が上がる。

そのようにして,緩やかなトニックからサブドミナントへ旅をして,
ドミナントへ進んでトニックへの想いを強くし,強力にトニックを示して,
満足感を得させる,というような感じで,曲は進行していく。
もちろん,工夫次第で,もっといろいろなことができる。

要は,こうした機能を巧みに組み合わせて,旋律を生き生きとさせ,音の流れを作り,
表情を作っていくというのが,本来の目的である。
和音進行とは,そういう作業のことだ。
聴き手の不安感や安心感を,音の進行によって巧みにプログラミングしているわけだ。

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2009年5月11日 (月)

バロック時代を見直した

バッハのプレリュード(「平均律クラヴィーア」の第1曲だ)の
分散和音旋律に,わざと外音を多く含む旋律を乗せ,
ポピュラーっぽい曲に仕上げようと思ったのだが,
驚くべき事態に陥った。

バッハ自身が,すでにほとんど7の和音で曲を作っていた。
これでは,実験にならない。
せいぜいテンションを付けるくらいしかないではないか。

それもマイナーセブンやドミナントセブンだけではない。
メジャーセブンも当たり前のように使っている。
ダブルドミナントセブンやディミニッシュコードもふんだんに織り込んでいる。
しかもクライマックスでは,ディミニッシュコードの連続である。

当然のようにsus4コードも使っている。
要は,和声そのものは,バロック時代に完成してしまったということだ。
よくポピュラーは,バロック時代の音楽と大した違いはないと言われるが,
和声に関する限り,その意見も納得がいく。

しかし,それでは,ポピュラー音楽とクラシック(ドイツ)音楽の響きの違いの理由が
はっきりしない。

実は,この答えも大体見当が付いている。
それは旋法の違いである。

ポピュラー音楽は,自然と導音を避けようとする傾向がある。
逆に,ドイツ音楽の特徴は,導音にあると言ってもいいだろう。
ポピュラー音楽の場合,旋律にはほとんど上方への導音は使わない。
解決も,ほとんど内声に任せる。

半音下降はたくさん使うが,導音を感じさせる半音上昇は使っても限定的である。
それと同時に,主音の変わりに,第3音や第6音を使いたがる。
第3音は,下降導音だし,第6音は全音に囲まれている。
ここに旋法性が表われるわけだ。

また,

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2009年5月10日 (日)

バッハのプレリュードをポピュラーっぽく

現在のポピュラーが,フランス的な音楽の上に成り立っているということの
一つの証明として,極めてドイツ的なバッハのプレリュードを使って実証してみよう。

と思って,プレリュードの楽譜を入力していてびっくりした。
この曲,結構七の和音を多用しており,すでにバッハの時代から
ここまでの和声を用いていたのかと驚いたのだ。

もちろん,それでも古典の和声に基づいており,大幅な逸脱はない。
ただし,恐らく後の大学で教わるであろう禁則は破っている。

それはともかく,この分散和音的な旋律にグノーのアヴェマリアに対抗して,
いかにも軽い旋律を乗せてみた。

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2009年5月 9日 (土)

転調に親しむために

はじめに,確認しておきたい点であるが,ド・ミ・ソと音を鳴らしたとき,
すぐに,これはハ長調だ,と勘違いする人がいるが,実際にはそうではない。

ハ長調かもしれないし,イ短調かもしれないし,ト長調かもしれないし,
ヘ長調かもしれないし,ニ短調かもしれないし,ホ短調かもしれないし,
ト短調かもしれない。

この一つの和音では,調は確定できない。
では,ド・ミ・ソのあとに,ソ・シ・レが続いたらどうだろうか。
それでもまだ,調は確定できない。
ハ長調かもしれないし,イ短調かもしれないし,ト長調かもしれないし,
ホ短調かもしれない。

このように,一つ,もしくは二つの和音では,必ずしも調は確定しないのだ。
だからといって,「無調」というわけでもない。
情報不足のため,調が確定していない状態である。

前にも書いたが,調を確定する最小の進行は, V7-I である。
この進行をすることで,確実に調が確定する。

さて,上記のことは,一つの調に関して,別の見方ができることを示している。

ハ長調というのは,ド・ミ・ソのことではなく,ドレミファソラシドのことである。
つまり,ハ長調を決めるのは,和音ではなく,音階(スケール)である。

この音階上に和音を乗せたとき,七つの和音ができる。
しかし,その一つ一つを取ってみると,ハ長調特有ではなく,
いくつかのスケールと共有していることがわかる。

IからVIまでであるなら,最初に書いたように,常に七つの調が絡んでいる。
このことは,これら七つの調は,ハ長調という中心の調に対して,
非常に親しい関係にあることが理解できるだろう。

このうち,いくつかの調は,一つだけではなく,複数個の和音を共有している。
ハ長調の場合,最も和音を共有している調は,イ短調(自然的短音階)である。
つまり,全部の和音を共有している。
次に多く共有しているのは,ト長調,ヘ長調,ホ短調,ニ短調であり,
五つの和音を共有している。

ここまで共有しているわけだから,ほとんど自由に行き来できる関係と言える。
先ほどの「調を確定する」という知識や概念さえあれば,
ほとんど気づかれないうちに,これらの調を行ったり来たりできるわけだ。
したがって,ハ長調とト長調が同居したり,ハ長調とヘ長調が同居したり,
ハ長調とイ短調が同居したり,というのは,ごく普通の現象である。

こうした事柄に基づいて,和声学では,副属七という考えがある。
ハ長調という音階には,実は,それだけですでに他の5つの調が関係している。
具体的には,ニ短調,ホ短調,ヘ長調,ト長調,イ短調である。
コードについての知識がある人なら,すぐにわかるだろう。

これらの調は,ハ長調の音階上にできる三和音のそれぞれを
主和音としたときにできる調である。
その調を確定するために,その直前に,その調の属七和音をおく。
これが,副属七というものである。
極めて重要な借用和音と言える。

一番よく使われるのが,ハ長調のVの手前に置かれる副属七の和音で,
これをダブルドミナントセブンと呼んでいる。
言うまでもないと思うが,レ・ファ#・ラ・ドの和音である。

要は,ハ長調という調性の中に,すでに五つの調が絡んでいるわけだから,
転調というのは,ばかばかしいほど音楽的に当然の行為であり,
それをしないほうがむしろ不自然であると言える。
足かせを付けられた状態で食事をするようなものだ。
食事を味わうことはできるかもしれないが,他のことは何もできない。

さて,最後に極端な例として,その副属七和音を付加した
ハ長調の音階上の和音進行を示しておく。
2小節ごとに転調している形である。
もちろん,主題提示の時にはここまでは転調しない。
展開部や間奏の時などなら,使うことも可能だろう。
旋律には意味はない。ただ音が寂しかったので適当に付けただけである。

ついでながら,このように五つの副属七和音を使うことで,
ハ長調の音階にない五つの音(つまり12音)をすべて使うことができる。

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2009年5月 8日 (金)

テッパン進行 その2

今回は,4つの別個の進行を一つにまとめて楽曲にしている。
つまり,曲としての最低限の形を保ちながら,実際には,ほとんどまとまりはない。
こうすることで,響きの実験の効率化を図っているわけだ。

だから,1曲として捉えるより,4小節ずつ,4分割して音を聴くのが
この曲の場合,正しい聴き方である。

そのようにすると,それぞれの和音進行の意図がわかってくる。

面倒なので,コード進行表記は省略する。
(それじゃ意味ないけど,これを聴いて勉強しようと思う人間もいないだろう。)

ついでながら,バス進行に基づく和音進行ということで,ひとつ。

これも先ほどと同様,バスの順次進行だけ聴いていただければよいのであって,
旋律に意味はないし,前半と後半で,一貫性もない。
ただし,聴けばわかると思うが,ポピュラーのサビでよく使われる和音進行である。

こういうのを蓄えていって,頭に浮かぶメロディーに合わせていけばよい,
ということは容易に理解できよう。

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2009年5月 7日 (木)

テッパン進行

例えば,I-II-V7-I(C-Dm-G7-C)という進行は,
基本中の基本で,ほとんど面白味もない。
しかし,音楽の長い歴史の中で,
ものすごい数の「使える」進行というものがあり,
こういう進行を用いると,何ら頭を使わなくとも,
それなりの曲ができてしまう。

ただし,使い古されているため,今さら大した感動はないが。

例えば,このような曲はどうだろうか。

C-Dm-G7-C-Bb-Ab-G7-Am7-D7-Bm7(-5)-E7-Am-Em7-G7-Cという進行だが,
この中のC-Bb-Ab-G7とAm7-D7-Bm7(-5)-E7がテッパン進行である。

ロックやポップスでよく聴くことができるそうだ。

実際の現場では,恐らく,こうしたものをさりげなく入れて
スパイスにしているのだろう。

ちなみに,上記の進行は,「作曲本」(野口義修著)の
83-87ページに載せられている32の代表的な進行のうちの
二つである。

そして,恐らくこうしたものを使いこなして初めて応用ができる。
というか,使いこなさなければ,世にわんさかといるポピュラー系作曲家たちと
同じ土俵に立つことはできないだろう。
やはり,本格的に行なおうと思ったら,ポピュラーでさえ,時間がかかるわけだ。
まあ,面倒なので,そこまではしないが。

逆に,知らないということはとてつもなく大きなハンディを背負うことを意味する。
間違いなく,勉強不足と言われ,叩かれることだろう。
12の調で,自在に音の流れをつかめて初めて,
自らのメロディを重ねる余裕ができるだろう。

本格的に行なうなら,の話である。もちろん。

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ジャズ理論

このブログはもう閉じようかとも思ったのだが,
これまで築き上げてきたものもあり,
それはちょっともったいなかったので,
これからは,少し趣旨を変えて続けていこうと思う。

「自己流で」できることはほとんどやってきたように思う。
もちろん,まだまだやり足りないことはたくさんあるが,
ここから先は,少なくとも何らかのテキストがないと
効率が悪すぎる。

それで,最近手に入れた「ヒアリング・ザ・チェンジ」という
ジャズ理論に関するテキストを中心に少し練習していくつもりだ。
ジャズ理論なのだが,別にジャズの曲を書こうと思っているわけではない。

結局のところ,十二音技法に向かわない方法を選択しようとした場合,
ジャズ理論に向かわざるを得ないというのが,その理由である。
また,ジャズ理論もクラシカルな理論も大きな違いはない。
一番大きな違いは,和音のギリシャ数字表記か,コード表記か,である。

ジャズ理論が,基本的に(CやGといった)コード表記を選んだおかげで,
調性に縛られることなく,自由に転調したり,
クラシックでは難しかったことを簡単にやってのけることができるようになった。
とはいえ,そのために失ってしまったものもある。
一番大きなものは,調性の機能がわかりにくくなったということだ。

調性の機能性をいわゆる五度サークルだけで説明せざるを得ず,
これを土台として展開している。
だから,計画的な転調がわかりにくく,
コード以外にスケールの概念を新たに加えないとならなくなる。

クラシックの場合,スケール(調)の上に和音が成り立っているので,
ジャズ理論は,とても回りくどく感じる。
しかし,それでも代理和音や転調に関しては,
ジャズ理論のほうがより自由であり,新たな発想がしやすい。

「ヒアリング・ザ・チェンジ」という本は,基本的にコード表記ではなく,
コードとギリシャ数字を合わせたような独特の表記で書かれており,
クラシックとジャズのいいとこ取りのような感じになっている。
慣れないとわかりにくいが,慣れればこの方がいろいろな手間が省けてよい。

手慣らしに,一曲書いてみた。

まだ慣れていないので,ちょっとした誤解があり正確なものではないが,
興味深いジャズ的には基本的な転調の一例である。

ついでにもう一曲。
テキスト15ページにある進行である。

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2009年5月 6日 (水)

そう言えば,クラシカルな曲が中心だった

最近,ポピュラー曲の制覇を狙って,その類のものばかり書いていたら
このブログの趣旨からずれてしまいそうだ。

そのようなわけで,以前作ったものの録り直ししたものであるが,
「弦楽のためのエチュード 第15番」をアップして,
本来の姿に戻そうと思う。

と言うか,もう終わりにするんだった。

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2009年5月 4日 (月)

作り直し

ポップ調の曲のほうであるが,
あまりにも安直に作りすぎたことを反省し,
ちょっと手直しした。

要は,気に入らなかったのだ。

基本調を短三度下げ,サビが生きるようにした。
ただ,それにともない転調した部分の移調が大変で,
面倒だったから,結構大きく変わってしまった。

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クラシカルな感じの転調だと

クラシカルな曲の場合,もう少し理論(調性)先行になるので,このようになる。

ほとんど遠隔調への転調であるが,つながりがスムーズである。

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pops調なら

ポピュラー,もしくはpops調の曲を書くなら,
せめてこれくらいの転調の知識は必要だろう。

サビの部分を短三度上げている。
そのほか,部分的にいくらかの転調,
近親調と,遠隔調,双方とも使っている。

聴けばわかると思うが,転調の意味は,
調変化直後に受ける響きの変化である。
ゆえに,元の調からどれほど遠隔に位置するのかが
極めて重要になる。

12の長三和音,12の短三和音,それぞれに距離感が異なるので,
それぞれの和音進行のすべてが,異なる変化を生じさせる。

加えて,12の減三和音,12の増三和音を挟めば,
変化の種類はさらに増えていく。

さらに,7の和音を加えると,その変化はほとんど無限大である。
長七,短七,減七,導七,短長七等々それぞれのパターンが12ある。
もちろん,それぞれの変化の特徴はしっかり押さえておく必要がある。
そのためには,いろいろなパターンを試す必要があるだろう。

こうした変化を自由自在に操ることが表情豊かな音楽となり,
同じ調,あるいは近親調付近をただ徘徊しているだけの
つまらない音楽からの脱却につながるわけだ。

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